後期の「科学哲学科学史(演習)」は、10月6日(火)に開講します。前期から続けて受講する方も、後期から加わる方も、どうぞよろしくお願いします。
後期は前期の続きです。前期は命題論理の自然演繹を扱い、A や B といった命題をひとかたまりのまま組み合わせて推論してきました。後期はそこから一段降りて、命題の中身、つまり「何が」「誰が」という個体の層に入ります。述語と量化子 ∀、∃ を導入し、述語論理の自然演繹を組み立てていきます。
後期を通して考えたい問いは、''「どれのことか」を決めているのは何か''、というものです。
通し例として、次の文を使います。「誰かが1888年にメアリ・アン・ニコルズを殺した」。この文は正しいと考えられています。ところが、犯人は今も同定されていません。何人かの候補がいたものの、決着はついていないのです。私たちは「切り裂きジャック」という名前を持っているのに、その名前が誰のことなのかは決まっていません。名前はあるのに、どれのことかが定まっていないという少し奇妙な状態が、後期の出発点になります。
論理学の側にも、これとよく似た事実があります。古典述語論理では、「犯人はいる」にあたる ∃xKx が証明できるのに、それが誰なのかを示す項を出せないことがあります。このことを、古典論理は存在具体性を満たさない、と言います。一方で直観主義論理では、∃xKx を証明したなら、その証明から証人となる項を取り出すことができます。こちらは存在具体性を満たすわけです。存在を言えることと、それが誰かを言えることのあいだに、どの論理を選ぶかによって隙間が開いたり閉じたりします。
ここで生成AIの話につなげます。生成AIが、存在しない論文を著者名や年号つきで挙げてしまうことがあるのはよく知られています。これも、名前だけが先に出て、それがどれのことかの裏づけがないという点で、同じ形をしています。前期の最終回では、ハルシネーションを三層の物差しで診断しました。後期は一段下の、名前と同一性の層で同じ作業をします。
ただし、ここで確認しておきたいことが四つあります。
一つ目に、こうした誤りはAIに固有のものではありません。条件つきで選んだ対象を「任意の対象」と取り違えてしまう誤りは、人間が日常的にやっている早まった一般化です。授業では、これを固有変数条件という規則の破れとして形式化します。
二つ目に、証人のない存在証明は、古典数学が二千年にわたって受け入れてきた推論です。後期には入試問題くらいの手ごろな例も扱います。ある無理数 x について √2 の x 乗が有理数になる、という定理には、その x が具体的にどれなのかを示さずに済ませる非構成的な証明があります。
三つ目に、名前だけを付けて同一性の基準を持たないというのは、「切り裂きジャック」という命名そのものです。人間の命名の実践が、すでにそういう形をしています。
四つ目に、だからこの問題を「AIが悪い」で片付けてしまうと、いちばん面白い問い、つまり私たちは個体をどうやって追っているのかという問いが消えてしまいます。人間の推論についての誤解が、AIをめぐる議論を歪めているところがあります。後期はそこを、論理学の側から点検していきます。
授業日時
- 開講日は10月6日(火)です。
- 毎週火曜5限、16時45分から18時15分に行います。
- 教室はKULASISで確認してください。
- 授業は全13回です。11月3日(火)は祝日のため授業がありません。その分は課題で代替する予定です。詳細は決まり次第お知らせします。
後期に扱うこと
- 量化子の導入(述語、∀と∃、スコープ、束縛変数と自由変数)
- ∀の導入規則と除去規則、固有変数条件
- ∃の導入規則と除去規則、存在具体性
- 等号と個体化(単称項とは何か、同一性の基準)
- 矛盾律と直観主義述語論理(ホームズ論法)
- 構成性(選言性、存在具体性、BHK解釈)
- 古典述語論理と排中律(非構成的な存在証明)
- 名無しの個物(エルブランの定理、スコーレム関数、ε記号)
- タルスキ・モデルと充足の再帰的定義
- 健全性と、完全性は何を言っているのか
- 完全性の証明(領域を項から作るということ)
- 総括(名前を付ける資格とは何か)
前期の話とのつながり
前期に使った三層の物差し、つまり局所の反転原理、中間の正規化、大域の保存拡大は、後期でもそのまま使います。∀ と ∃ の規則についても、導入と除去が釣り合っているか、証明の中の遠回りを消せるかを、前期と同じように見ていきます。
最終回に向けて、ひとつ対比を予告しておきます。排中律を足すと、保存拡大が破れます。ところが、完全性定理の証明で証人の名前を言語に足していく操作は、保存拡大になっています。どちらも何かを足しているのに、片方は釣り合いを壊し、もう片方は壊しません。この違いがどこから来るのかを、最終回で扱います。
進め方
- 資料は授業の1日から2日前にKULMSにアップロードします。
- 毎回ほぼ宿題が出ます。提出はKULMSの左メニューの「課題」からお願いします。
- 解答は締切後に配布します。
- 成績は宿題の累計で付けます。
- 前期の内容は第1回で復習しますので、記号の扱いを忘れていても大丈夫です。
今回のキーワード
述語、量化子、∀、∃、スコープ、束縛変数、自由変数、固有変数条件、存在具体性、等号、個体化、単称項、同一性の基準、矛盾律、直観主義述語論理、選言性、BHK解釈、古典述語論理、排中律、非構成的な存在証明、エルブランの定理、スコーレム関数、ε記号、タルスキ・モデル、充足、健全性、完全性、保存拡大
[2026後期火5] 科学哲学科学史(演習) 担当:矢田部俊介(西日本旅客鉄道株式会社)